5月。
北海道にもようやく春がやってきました。
雪が溶け、空気にやわらかな匂いが混じり、小さな裏庭の土が少しずつ乾いていく様子を見ていると、
「今年も家庭菜園が始まる!」と思わずにはいられません。
昨年までは、春が来ると心も身体も同時に動いていました。
種の準備、苗の注文、土づくり、畝の配置を考えるワクワク感。
小さな裏庭に立ち、手を動かしながら「今年は何を育てようか」と考える時間は、
私にとって すごく楽しい日常でした。
でも今年は、違います。
やりたいのに動けない。それが一番つらい
私は今、帯状疱疹の後遺症に悩まされています。
ありがたいことに、痛みは薬でコントロールできています。
かつては顔に走る痛みに身動きも取れませんでしたが、今は痛みの面ではかなり落ち着きました。
けれど、右目の視力がはっきり戻らないのです。
ピントが合わず、常に焦点が少しズレているような感覚。
見ようとすればするほど目が疲れ、目を酷使した日は頭まで重くなってしまいます。
「ただ目が見えにくいだけ」と思う方もいるかもしれません。
でも、この“焦点の合わなさ”は、日常生活すべてに影響を与えてきます。
スマホの画面が読みにくくなる。歩いていても距離感が掴めない。
そして、庭の作業をするにしても 必要以上に疲れてしまうのです。

土に触れたい。けれど視界が安定しない
今年の春も、例年どおり小さな裏庭の土は乾き、温度も上がってきました。
やる気だけはある。種も準備してある。育てる種類や作付け計画もできている。
でも、目が追いつかない。
シャベルの先が見えにくいと、少し作業をするだけで目が疲れ 体が重くなる――
そんな状態では、とても長時間の作業はできません。
以前の私は、「体が動けば何でもできる」と思っていました。
でも今は、「視界が不安定なだけで、こんなにも身体全体が疲れるのか」と実感しています。
今年は、ゆっくりできることから
近所の人達が家庭菜園の畑仕事を始めている姿を見て、「自分だけ取り残されている」と感じます。
小さな裏庭を見るたびに、去年の元気だった自分と今の自分を比べて落ち込んでしまいます。
でも、落ち込んでばかりいても仕方がないので
今の自分にできることを考えよう、と気持ちを切り替えるようにしてみました。
長時間の土を耕す作業が難しければ、少しだけの作業で 何日もかけて耕す。
近所より遅れていても 今年は妥協しながら少しずつ進める。
目が疲れる日は、作業せずに日陰で風にあたって、以前から植えてあるアスパラやニラの成長を観察するだけでもいい。
完璧な畑仕事じゃなくていい。
小さくても、「育てる喜び」さえ持っていれば、それでいいのではないか――
そう思えるようになってきました。
今年の家庭菜園はまだ始まったばかりなので 焦らず進めていこうと思っています。

視界がぼやけるからこそ、気づけたこと
見たいものが見えづらい世界は、ストレスが多いです。
特に私は視覚に頼る作業が多かったため、視力の不調は想像以上のダメージでした。
でも、この経験を通して「見ること」そのものの大切さを身にしみて感じています。
見ることの大切さとは、単に視覚的に物を捉えること以上の意味を持ちます。
それは「注意深く観察すること」であり それには集中力が必要なのですが
視界がぼやけることで 集中力を保つことが出来なくなり
結果的に物事をしっかり見ることが出来なくなってしまうのです。
しかたがないので これまでよりゆっくり時間をかけて物事を見ていくことにします。
視覚以外の感覚で 補える事もあると思うので感覚をフル活用していくことも必要でしょう。
光、風、匂い、音、土の感触。
小さな芽が土を割って出てくるのがぼんやりとしか見えなくても、その成長を感じることはできる。
今の私は、そんな「感覚」を信じて、今年の家庭菜園を少しずつ始めていこうと思っています。

終わりに
帯状疱疹の後遺症は、症状も程度も人それぞれ。
痛みが無くなる日が来るのか? 視力は治るのか? と毎日不安になります。
外からは見えづらく、「怠けている」と思われがちなのもつらいところです。
ここまで読んで頂いた人の中に、今後もし同じような症状になり 後遺症に苦しむことがあったら
「やりたいのに体が追いつかない」「視界が不安定で作業ができない」と感じることがあったなら
その時の参考になればと思います。
焦らずに自分のペースで 出来ることから始めればいい。
たとえ今年はうまく行かなくても、小さな一歩が目に見える変化が少なくても、少しずつ進めることができれば きっとまた明るい季節が訪れると思っています。
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